• 3年ぶりの再開、そして「金谷はどこへ?」

    前回の第八歩、岡部から金谷まで歩いたのが2019年4月。それから3年、東海道歩きはずっとお休みしていました。理由はもちろんコロナです。

    ホテルが取れないわけではないけれど、県外の人が来るのは地元の方も嫌だろうし、地域によっては予約自体を受け付けていないところもありました。実際に自分も感染してけっこうきつかったので、「落ち着くまでは無理」と判断して、しばらく様子見。そして2022年のゴールデンウィーク、ようやく「行ける」と決まったときは、本当に嬉しかったです。

    さて、ここで鋭い読者の方はお気づきかもしれません。前回のゴールは金谷。今回のスタートは浜松。……その間の金谷~浜松、約40kmはどうしたの?

    飛ばしましたw

    ルートを決めるとき、相方が「もう電車でも回ったから良いんじゃね?」。私も「まあ、良いかな」。二人して何にも考えてなかった、というのが正直なところです。というわけで、東海道歩きは浜松から再開となりました。

    高塚駅から歩き始める

    新幹線で浜松へ、そこから在来線に乗り換えてJR高塚駅へ。まだ人出も控えめで、電車はゆったり座れました。感無量……とまではいかなくても、久しぶりに遠くへ行けることにワクワクしていました。

    今回、前回までと違うのは準備です。おやつやエネルギーチャージのドリンクを計画的に揃えて出発。3年の間に、歩き旅の心得は少し進歩したようです。

    高塚駅を出ると、すぐに旧東海道の史跡が現れます。篠原の立場跡は、慶長6年(1601年)に設けられた休憩所で、明治元年には明治天皇が御小休されたという由緒ある場所。茶屋「浅田屋」の格子窓が今も残っています。

    少し進むと坪井村の高札場跡。住宅の間にちょこんと残る小さな祠で、この辺りの「札木」という地名は高札場に由来するのだそうです。

    狛犬ならぬ狛鹿――春日神社

    休憩がてら立ち寄った春日神社で、珍しいものを見つけました。参道の両脇に立っているのは狛犬ではなく、鹿。石灯籠にも鹿が彫られています。奈良の春日大社とご縁の深い神社とのことで、なるほど鹿なのですね。狛犬ならぬ狛鹿、初めて見ました。

    これぞ東海道――舞阪の松並木

    馬郡を過ぎると、旧東海道の松並木が現れます。久しぶりに見る松並木に「これぞ東海道!」と気分が上がります。エネルギーチャージゼリーを飲みながら、元気に歩みを進めました。

    松並木の入口には、太鼓を叩く「浪小僧」の石像。遠州の民話に登場する海の妖精で、海が荒れる前に太鼓を鳴らして知らせてくれるのだそうです。

    舞坂宿と脇本陣

    松並木を抜けると、江戸から数えて30番目の宿場、舞坂宿に入ります。見付石垣(宝永6年の古地図にすでに描かれているという古いもの)、一里塚跡、常夜燈と、宿場の入口らしい史跡が続きます。

    舞坂宿の脇本陣は、東海道で唯一現存する脇本陣の建物として公開されています。見られる建物があればとりあえず中に入ってみる――これもこの旅の醍醐味ですw

    上段の間には金襴の座布団と脇息、竹の結界。中庭には白砂利に飛び石。そして「上湯殿」――大名専用のお風呂桶は、黒漆に内側が朱塗りという豪華なものでした。

    とはいえ、こうした建物は旅の途中で幾度となく見ているので、「まあ、こんなもんか」と一通り眺めたら、次第に空が広く見えてくる方へ足を進めます。

    空が広くなる方へ――舞阪漁港と浜名湖

    宿場を抜けると、そこは舞阪漁港。晴れていて、海が近いと街全体が明るいような気がします。北雁木の石畳の船着き場に、木造の常夜燈。漁船の向こうには浜名湖、そして遠くに赤い鳥居が小さく見えました。

    浜名湖へ向かう途中には魚介のお土産屋さんがあったので、しらすを買って自宅へ宅配予約しておきましたw 歩き旅では荷物を増やせないので、宅配は強い味方です。

    浜名湖を渡る

    弁天島へ渡る橋の上から見た今切口は、エメラルド色。天気が良くて風も気持ちよく、初めての浜名湖をこの目で見ることができて良かったです。爽やかな風景でした。

    赤い欄干の橋の向こうを新幹線が走り抜けていきます。新幹線の車窓から何度も見てきた浜名湖を、今度は歩いて渡っているのが不思議な感じでした。

    お昼は「浜名湖はませい」

    お昼ご飯はどうしようかと思いつつ歩いていると、目に入った大きい定食屋さん「浜名湖はませい」へ。まだコロナからの回復途上で店員さんの数が少なく、けっこう待たされてしまいましたが、これは仕方ないですね。

    名物のうなぎは、コロナのおかげか品切れw 刺身御膳をいただきました。甘えびにまぐろに白身、茶碗蒸し付き。

    ただ、ここで食べたのは正解でした。この先、新居から白須賀、二川まで、お店がほとんどなかったからです。浜名湖を渡ったら、弁天島~新居あたりで昼食を済ませておくことを強くおすすめします。

    新居関所――実は全国唯一だった

    新居町駅の前を通って、新居関所へ。広い砂利の敷地に大御門、船着き場の再現、そして面番所には関所役人の等身大人形が並び、鉄砲や突棒・袖搦・刺股といった武具も展示されています。

    歩いていたときの私の感想は「広いなー」「人形まで置いて気合入ってるなー」でした。

    ……が、この記事を書くにあたって調べて分かったのですが、新居関所は江戸時代の関所の建物が現存している、全国で唯一の場所なのだそうです(箱根の関所は復元)。道理で気合が入っているわけです。ちゃんと説明を読みなさい、と過去の自分に言いたいですw

    新居宿から潮見坂へ

    関所を過ぎると新居宿。飯田武兵衛本陣跡、疋田八郎兵衛本陣跡と、本陣跡の碑が続きます。疋田本陣は建坪190坪で、徳川御三家や吉田藩など約120家が利用したと案内板にありました。

    明治天皇御野立所址は、明治元年(1868年)、東京へ向かう明治天皇が豊橋から新居へ向かう途中で休憩された場所。この日の朝に通った篠原の立場跡でも明治天皇が休まれていましたから、今日は一日、明治天皇と同じ道を歩いていたことになります。

    そして。ここから、この日最大の難所、潮見坂の登りです。

    潮見坂――目の高さにある海

    潮見坂は、きつい登りでした。

    古い家並みの間を抜けて、じわじわと登っていく坂道。でも振り返ると、遠州灘の海が遠くまで見えます。不思議だったのは、坂の下に海があるはずなのに、途中までは海が目の高さと同じくらいにあるように見えたこと。……疲れてたのかなw

    潮見坂は汐見坂・塩見坂・観潮坂とも書き、東海道屈指の景勝地として数々の紀行文に登場する場所。西国から江戸へ向かう旅人にとっては、ここが初めて太平洋の大海原と富士山を望める場所だったそうです。永享4年(1432年)には室町幕府6代将軍・足利義教が富士見物の帰りにここで休息し、歌会を開いたとか。歌川広重の「東海道五十三次 白須賀」も、この潮見坂から遠州灘を見下ろす構図で描かれています。

    ……というのは、坂の上の説明板に書いてあったことですが、その場では読んでいませんw 白須賀宿の休憩施設には寄ったものの、体力回復のためのおやつを食べるので精一杯。久しぶりの長距離は、やはりきつかったです。

    ついに静岡県脱出

    白須賀宿を過ぎ、加宿の境宿を過ぎて、道はやがて「愛知県 豊橋市」の標識へ。

    長かった。本当に長かった。

    第六歩の吉原から数えて、静岡県内だけで4回分。3年の中断を挟んで、ようやく県境を越えました。

    二川宿へ

    県境から二川宿までは、あと少し。二川宿は慶長6年(1601年)設置、東海道53次の33番目の宿場で、本陣や旅籠「清明屋」、商家「駒屋」などが江戸時代の宿場町の景観を今に伝えています。

    ……なのですが、二川宿本陣資料館に着いたときには、残念ながら閉館後。看板だけ写真に収めて、二川駅へ向かいました。

    新所原のスーパー惣菜ディナー

    この日の宿は、二川駅周辺に見つからず、電車で新所原駅近くのビジネスホテルへ。ついでに言うと食べるところもほとんどなく、唯一開いていたお寿司屋さんは一見さんお断りの気配(空いてたけど、新規のお客を受け付ける様子なしw これもコロナのせい?)。

    近くにスーパーがあったので、お惣菜を買ってホテルで食べました。これがまた、お米が美味しくなかった……。コメだけはケチらないでほしい。

    前回の焼津といい、宿場町に泊まれない・食べられない問題は、現代の東海道歩きの宿命のようです。

    そして、この日の歩数は49,475歩。第八歩の45,525歩を超えて、この旅の新記録です。よく歩いた!疲れた!

    3年ぶりの一日を振り返って

    コロナの影響はなくなりつつあっても、まだまだ――そんな一日でした。お店の人手不足、閉まっている店、受け付けてもらえない店。旅は人混みを通るわけではないのでマスクはしつつも心配はしていませんでしたが、街の側はまだ回復の途中なのだと感じました。

    それでも、晴れた空の下で初めての浜名湖を渡り、潮見坂の上から遠州灘を見て、静岡県を歩き切った一日。準備したおやつとエネルギーチャージのおかげか、久しぶりの長距離を最後まで歩き通せました。

    金谷~浜松の空白は、いつか埋める日が来るのでしょうか。……たぶん来ないと思いますw

    きょうも、てくてく。

  • 今回は閑話休題。東海道からは少し離れて、東京駅で千疋屋をハシゴしてウロウロした話です。

    食べたい病、発病

    この夏休みは久しぶりに家族で集まって、茨城でメロンを食べる予定でした。ところがタイミングが悪く、肝心のメロンにはあり付けず。夏休みはどこも混んでいて、楽しい反面、疲れました。

    そんなわけで、どうやら「食べたい病」を発病していたようです(笑)。千疋屋のメロンとか、果物のメロンとか。美味しいメロンとか。(しつこいw)とにかく食べたかった。

    この日は一人です。相方は職場の同僚と出掛けていました。というより、相方はこういう店は好きではないのです。理由は、高いから(笑)。あえてそういう日を狙って行きます。

    一軒目:京橋千疋屋(東京駅一番街)でフルーツカレー

    まずは八重洲側、東京駅一番街の京橋千疋屋へ。

    千疋屋には何度か足を運んだことがあるのですが、ほとんどパフェを食べるためでした。フルーツカレーはずっと気になっていたものの、味がなんだか想像できなくて、躊躇していたのです。でも今日は思い切って食べてみようと決心して、注文しました。

    フルーツカレーセット、ミニサラダ付きで2,500円くらい。

    サラダにはスイカやバナナが入っています。果物と野菜の味が決して喧嘩することなく、美味しく食べられました。

    カレーもちゃんとフルーツとルーの味がケンカしないように、スパイスがブレンドされているようです。パイナップル以外は馴染んでいる印象でした。

    本来の目的、メロン

    そして、本来の目的だったメロン。パフェではなく、果物そのものを食べてみたくなって、単品で注文しました。これも2,500円くらいです。

    カレーとほぼ変わらない値段ですが、それを差し引いてもあまりある美味しさで、私的には高いと思いませんでした。まあ、口に入れてスッとなくなるんですもの。甘さも甘すぎず、くどくなく、もう最高に美味しい果物でした。

    二軒目:KITTEの日本橋千疋屋総本店でメロンジュースとフルーツサンド

    そのまま丸の内側へ移動して、KITTEの中の千疋屋へ。まだ食べたい病は続いてます(笑)

    もちろんこちらでもメロンを楽しみたかったのですが、単品メニューはジュースくらいしか見当たらず。パフェはお値段も量も多いかなと思ったので、メロンジュースと、気になったシャインマスカットのフルーツサンドをしっかりいただきました。

    ジュースはメロンの優しい甘味で、ゆっくり味わいながら飲みました。

    フルーツサンドは、クリームと果物の甘さのバランスがしっかり考えられていて、甘さ控えめのクリームに果物の甘味で美味しくいただけました。こちらは飲み物と合わせて4,000円くらい。お腹いっぱいでした。セットではなく単品の合計です。

    消化のためにウロウロ:KITTEの屋上から

    さすがに食べすぎたので、消化するためにウロウロします。

    何度も行ってる割にはKITTEは屋上まで上がったことがなかったので、登ってみたくて行きました。

    こじんまりとした広さですがのんびりと景色を堪能できます。外国人観光客も多かったですね。

    東京駅をしっかり見ることができて、いろんな電車の出入りを眺めることができて、楽しかったです。

    超高層ビルから見える景色とは違う、でも建築当時としては高かったであろう屋上からの眺め。私にとっては、ちょうど良い眺めでした。

    鉄道系YouTubeで見たあの場所へ

    屋上から駅を眺めながら、鉄道系YouTubeの人が案内していた場所が駅の中にあったよな、と思い出して行ってみることに。

    まずは原首相遭難現場。歴史で習ったりしていた割には、ちゃんと確認したことがなくて、「そういえばどこだっけ」と思いながら、「ああ、ここなんだ」と知りました。

    今でも普通に券売機の横に、ポスターに囲まれながら碑があるのが、なんだか不思議な感じがしました。下の方にある白い印が襲撃にあった場所のだそうです。

    それから10番線の東海道本線の起点標と、丸の内の壁の大理石にあるカニの化石。どちらもYouTubeで見たので、確認しに行きました。

    本当にあった!

    でも、そういった人たちの情報がなければ、あえて観に行かないものですよね。それもまた、楽しいお散歩でした。

    おわりに

    この日の歩数は8,200歩。14時ごろには帰宅しました。まもなくバケツをひっくり返したような大雨と雷。早めの帰宅で正解でした。

    食べたい病は治りました。ただ、お財布はかなり痛かったです(笑)。次はパフェか、果物アソートでも良いですね。頻繁には行けませんがw

    超大満足な一人散歩でした。

  • 8回目の東海道の旅、最終日です。

    昨日に引き続き、あいにくの雨。 窓の外を見ながらしばらく粘ってみたものの、結局この日は歩くのを断念しました。 というわけで今回は「歩く」のではなく「乗る」「登る」「食べる」の番外編です。

    歩数計はもちろん0歩。お供たちも心なしか静かです。

    荷物はロッカーへ、まずは掛川城

    雨予報が分かった時点で、相方から「それなら鉄道に乗ろう」とリクエストがありました。 帰りは掛川から新幹線に乗ることにして、荷物は掛川駅のコインロッカーへ。身軽になったところで、まずは駅から歩いてすぐの掛川城へ向かいます。

    小雨の中、石段を登ります。雨の日のお城というのも、それはそれで風情があります(と自分に言い聞かせます)。

    掛川城の天守は、当時の姿を木造で復元したものだそうです。中に入ると、この城を築いた山内一豊の騎馬像がお出迎え。

    天守からの眺めは、雨に煙る掛川の街。晴れていればもっと遠くまで見えたのでしょうけれど、これはこれで。

    続いて二の丸御殿へ。畳の間がいくつも連なる中に、「次の間」「三の間」と札が立っています。城主と謁見できるのは身分の高い者だけ、通される部屋も身分次第。そんな説明を読みながら、白と赤の打掛が飾られた部屋を眺めていました。

    こういう部屋で、当時の人たちが暮らし、政をして、頭を下げたり下げられたりしていたわけで。そんな場所を経て、人の流れが今にも続いているのだと思うと、なんだか不思議な感覚になります。今さら思うことですけれども。

    スローライフトレインで、のんびり天浜線

    掛川駅に戻り、天竜浜名湖鉄道のホームへ。やってきたのは「Slow Life Train」と書かれたレトロな一両編成でした。

    私はこの電車に乗るのは初めて。多少知識のある相方についていく形です。

    車内に入ってまず目に飛び込んできたのが、窓に掛かったカーテン。座席の背もたれにも花柄の布が掛けられていて、都内ではまず見ない車内風景に、乗る前からワクワクしていました。

    とにかく「カーテンのついている電車」というのが珍しくて、かわいらしくて、素敵だなあと。

    雨だったので途中下車はせず、ひたすら車窓を眺めるのんびり旅。田植えを終えたばかりの水田が、雨に打たれて一面鏡のようになっていました。

    途中の遠州森駅には「森の石松」の看板。気賀駅では古い木造の駅舎とベンチが雨に濡れていました。

    車窓を眺めながら、人混みに揉まれることもない電車。たまには良いですよね。

    終点の新所原からJRに乗り換えて浜松へ向かいます。

    浜松、とりあえず登る

    浜松に着いたものの、雨の街中を散策というのはやはり厳しい。厳しいと思いながらも、結局ウロウロしてしまうのが私たちです。

    まず向かったのは浜松城。城を見たらとりあえず登るという習性があるのか、行ってしまいますね。タワーもそうですが。

    家康が青年期を過ごした「出世城」。若き日の家康公像が、雨の中でも凛としていました。

    街のあちこちで見かけたのが、浜松市のキャラクターたち。「出世法師 直虎ちゃん」に「出世大名 家康くん」。

    大河ドラマの舞台になった地域は、とにかく気合いが入っていますね。聖地巡礼というほどではありませんが、それに近い形でキャラクターを作って、観光誘致に力を入れているのが伝わってきます。家康くんのはかまがピアノの鍵盤なのは、さすが楽器の街。

    そしてやはり登ってしまうタワー。展望階から見下ろす浜松の街は、雨雲の下でどこまでも灰色でした。

    冷えた体を温めに、OMG KITCHENというお店でほうじ茶のアーモンドラテをいただきました。

    令和どら焼きと、時代の変わり目

    浜松から掛川へ戻り、ロッカーの荷物を回収して新幹線へ。

    この旅は、ちょうど元号が変わる節目にあたっていました。せっかくなので近くで見つけた「令和」と焼き印の入ったどら焼きを記念に買って、新幹線の中でお供たちと一緒にいただきました。記念なのに食べてしまうあたりが私です。

    そういえば相方はその後、パレードを見に行っていました。私はテレビで見ておりましたw

    この日の雨について、「熱田神宮の剣が動いたから雨が降った」なんて話もちらほら見かけました。そういう、ある意味伝説の中を生きている私たちは、なんだかすごい節目に立ち会っていたのかもしれません。前の代替わりのときも確か見ていたはずなのですが、子どものときと大人になってからでは、関心の度合いも変わってくるものですね。

    歩けなかった最終日。でも、カーテンのついた電車に揺られて、城に登って、どら焼きを食べて。これはこれで、8回目の旅らしい締めくくりだったように思います。

    きょうも、てくてく。

  • 2019年4月29日、歩き旅再開の2日目です。

    この日は朝からどんよりとしたイマイチなお天気。それでも前に進むしかない!と、テンションを上げるためのぬい達と一緒に、まずは恒例の万歩計「0」の儀式からスタートです。今日のお供は山姥切國広。

    前日は焼津のホテルに宿泊。東海道からは離れていたので、タクシーで街道まで戻ってから歩き始めました。

    藤枝宿へ

    歩き出してほどなく、「藤枝市 八幡」の東海道ルネッサンスの道標に出会います。川沿いの道を進むと「旧東海道・鬼島の建場」の石碑が。ここには弥次さん喜多さんでおなじみ『東海道中膝栗毛』の一節が刻まれていました。江戸の旅人たちもここで一休みしたのでしょうか。

    そして東海道藤枝宿の大きな案内板が見えてきました。

    相方リクエストの田中城

    このあたりから、いよいよ天気が崩れ始めてきました。雨用の装備は毎回持ってきていたのですが、昨年は一度も出番がなかったレインコート、傘、バッグ用カバーがここにきて大活躍です。

    雨の中向かったのは、相方のリクエストで決まった田中城。徳川家康公が鷹狩りに通い、最期の鯛の天ぷらを食べた地とも言われるお城です。

    史跡・田中城下屋敷には、花菖蒲と芍薬の咲く庭園に茶室、そして石垣の上に建つ本丸櫓。櫓の中の展示によると、信玄・信長・秀吉・家康が宿泊したそうで、そうそうたる顔ぶれです。

    ところでこの田中城、住所も田中で城も田中城。てっきり城主の名前が田中さんなのかと思ったら、地名の田中からきているのだそうです。

    さらに面白いのが、本丸跡が現在は西益津小学校になっていること。校庭の一角には田中城のミニチュア模型が置かれ、円形の縄張りが再現されています。校舎内にもミニチュアらしきオブジェが見えました(外から覗いた限りですがw)。子供たちに「ここにはお城があったんだよ」と教えているのでしょうか。地元の思い入れの深さを感じます。城址の利用のされ方が土地によっていろいろ違うのは、歩いていて面白いところです。

    偶然の藤まつり

    続いて立ち寄った蓮華寺池公園では、ちょうど「藤まつり」が開催中でした。もちろん偶然です。この旅、全てにわたってこんな調子ですw

    藤棚から滝のように垂れる藤の花はとても綺麗で、写真をたくさん撮りました。池にはスワンボート、岸辺には鯉のぼりの群れ。朝ラーメンを出している屋台もあったりと、なかなかの賑わいでした。藤枝の名の通り、藤の名所なんですね。

    隣接する藤枝市郷土博物館・文学館では、定番の展示から地元らしいものまで興味深く見ることができました。昭和のお茶の間の再現に、大正期のKAWAIオルガン、そしてダイハツ・ミゼット。オルガンはリアルで見た記憶があるのですが、ミゼットはあまり記憶が無いなあと、いろんな博物館で見るたびに毎回思っている車のひとつです。

    島田宿と刀匠の碑

    東海道追分の道標から旧東海道に復帰し、島田宿へ。曇りがちの天気のせいか体が重く、このあたりは割と淡々と歩いていました。御陣屋(代官所)跡、本陣跡と巡ります。

    そんな中で目を引いたのが「刀匠 島田顕彰碑」。刀鍛冶集団・島田鍛冶を讃える碑です。東海道を歩いていると、本陣跡や明治天皇がお泊まりになった・ご休憩されたという碑はたくさん見かけるのですが、こうして地元の方々が「ここにはこんな歴史もあったんだ」と印として残している碑もいいですね。とても珍しいと思いました。

    ちなみにこの島田鍛冶の義助は、刀剣乱舞にキャラとして登場する槍・御手杵を作った刀工です。審神者的には見逃せないスポットでした。

    そして御陣屋稲荷では悪口コンテストの大賞作品に遭遇。「空はこんなに青いのに、妻がいる。」……強烈ですw

    越すに越されぬ大井川

    この日はまず大井川手前のホテルにチェックインし、荷物を置いて身軽になってから、いよいよ大井川橋へ向かいました。

    「箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川」。江戸時代、幕府はこの川に橋を架けることを許さず、旅人は川越人足の肩や蓮台で渡っていました。

    昭和3年に架けられた大井川橋は、橋長1026.4mの鋼製トラス橋。土木学会選奨土木遺産にも認定されています。

    実際に渡ってみると、川幅は果てしなく広い。広大な砂利の河原の中を、細い流れが走っています。橋は架けたいけど敵には攻め込まれたくない、という幕府の気持ちも分からんでもないなと思いながら、黄色い欄干の歩道を延々と歩きました。

    大井川鐵道で思い出に再会

    橋を渡って金谷側へ。大井川鐵道があると相方から聞かされたので、新金谷駅まで見に行くことにしました。

    新金谷駅にはSLの牽く旧型客車がずらり。車両基地では転車台に載るC12 164の姿も。ちょうど電車が車庫の中に入るための動きを見ることができて、気づけば写真よりも動画ばかりが残っていましたw

    「電車好きだった子供が小さい時に連れてきてたら喜んでたろうね」と相方と話しながら車庫をよく見ると、なんと私が子供の頃によく乗っていた電車が再利用されているではありませんか。もう見ることもないと思っていた電車に、まさか大井川で会えるとは。懐かしい思いで眺めていました。

    駅舎には「新金谷驛」の木製看板と、きかんしゃトーマスとヒロのパネル。大井川鐵道といえばトーマス号ですね。

    このあとは金谷駅から、ホテルの最寄駅まで電車で帰りました。流石に橋の往復はキツイです……。

    島田の夜

    夕食は島田駅近くで、入れる居酒屋に入ったという感じ。炙りの刺身に〆鯖、ごぼうチップスのサラダ、鉄板のハンバーグ。満足な味で美味しかったです。ただ、前日の焼津のお魚のボリュームを思い出すとちょっと物足りなく感じてしまい、いやいやこれが普通だよねと自分に言い聞かせましたw

    (写真:島田の夕食)

    この日をふりかえって

    この日の歩数、45,525歩。おそらく歴代最高記録です。お宿では、近所ではあまり見かけないスガキヤのラーメンをお土産に、三日月と太郎太刀と一緒に記念撮影。

    (写真:万歩計45525歩)

    思い出に会えた時間。

    雨が降ったり止んだりで大変でしたが、偶然の藤まつり、地元が大切にする城跡と刀匠の碑、そして子供の頃に乗っていた電車との思わぬ再会。越すに越されぬ大井川を自分の足で越えて、それなりに楽しめた良い一日でした。

  • 約1年ぶりの東海道歩き旅、再開です。

    昨年のゴールデンウィーク、相方の足のトラブルで薩埵峠を目前に由比で断念してから早1年。今回は2019年のゴールデンウィーク、静岡駅からのスタートとなりました。

    由比〜静岡間(薩埵峠区間)をどうするか一応相方に聞いてみたのですが、「静岡から」と言い張るのでそれに従いました。というのも、相方はこの旅の前から「とろろとろろ」と言い続けており、何が何でも丸子宿のとろろ汁の名店に行きたかったようですw 一方の私は、新しい万歩計を買ったり、今で言う「ぬい活」の準備をしたりと、それはそれで楽しみにしていました。

    ちなみに断念した薩埵峠は、後にリベンジすることになります。その話はまたいつか。

    静岡駅からスタート

    静岡駅のホームで、お供の山姥切国広と膝丸、そして新品の万歩計(髭切)と一緒に記念撮影。万歩計はもちろん「0」からのスタートです。

    かつての府中宿は、江戸から数えて19番目の宿場。家康公のお膝元・駿府の城下町として、東海道最大規模を誇った宿場です。街なかには家康公顕彰四百年記念の案内板があちこちにあり、七間町などの旧町名の由来を読みながら歩き始めました。

    朝のおやつは安倍川もち

    弥勒の交差点を過ぎたあたりで、「元祖からみもち」の暖簾を発見。安倍川もちの老舗・石部屋(せきべや)さんです。

    実は開いているとは知らずに通りかかったところ、開いていたので「これは入るしかない」と迷うことなく入店。狙って行くと店は休み、ノーマークだと当たる――旅の法則は今回も健在でしたw

    朝の早い時間ということもあって、店内はゆったり。年季の入った店内には広重の浮世絵や古い写真が飾られていて、江戸の旅人気分が高まります。

    初めて食べる手作りの安倍川もちは、あっさりとした甘み。そしてわさび醤油でいただく「からみもち」の味変のおかげで、美味しくペロリといただけました。

    ……とはいえ内心、移動の新幹線内で朝ご飯の後の安倍川餅「これでとろろ食べられるかな」と胃袋の心配をしていたのはここだけの話ですw

    安倍川を渡って丸子宿へ

    石部屋さんを出てすぐ、安倍川橋を渡ります。緑色の鉄橋の向こうには富士山。江戸時代は橋がなく、川越人足に担がれて渡った安倍川も、今は歩いて数分です。

    東海道の松並木の名残の松を眺めつつ進むと、丸子宿に入ります。江戸から数えて20番目、東海道の中でも小さな宿場だったそうですが、道沿いには屋号の看板を掲げたお宅や、地元中学の美術部お手製の「丸子いいトコMAP」などがあって、気合いの入った通りでした。宿場町を大事にしている感じが伝わってきます。

    道中、標識の上にちょこんととまるツバメを発見。家の周りではすっかり見かけなくなった鳥なので、ついつい写真を撮ってしまいます。旧街道を歩いていると、こういう懐かしい風景に出会えるのも楽しみのひとつです。

    念願のとろろ汁

    そしていよいよ、相方待望の丁子屋さんへ。慶長元年(1596年)創業、芭蕉の句「梅若菜 丸子の宿の とろろ汁」にも詠まれた、丸子宿名物とろろ汁の超有名店です。

    到着した時はまだ開店前。名前を書いて順番待ちという流れでしたが、すでに車で来ているお客さんが結構いて、さすがの有名店ぶりに驚きました。

    時間を潰しつつ順番が来て店内へ入ると、今度は店の広さにびっくり。あの茅葺き屋根の外観からは想像できない奥行きで、壁の上には東海道五十三次の浮世絵が宿場順にずらり。「21丸子」「20府中」と、まさに今歩いてきた宿場の絵も並んでいます。店の前には十返舎一九『東海道中膝栗毛』の碑もあり、東海道づくしの空間です。

    実はこの丁子屋、東京都内に支店にあたるお店があり、一度食べに行ったことがあります。味は遜色なかったのですが、やはり本店は雰囲気もさることながら、店が「東海道!」って感じで、より美味しくいただけました。おひつの麦飯にとろろ汁をかけて、薬味を添えて。とろろを揚げただんごも一緒にいただきました。

    もちろん相方は大満足。この旅最大の目的は、昼過ぎにして無事達成されましたw

    宇津ノ谷峠越え

    お腹を満たして、いよいよ宇津ノ谷峠越えへ……の前に、ひとつ告白を。実はこの道に辿り着く前に迷子になりかけて、もうちょっとで反対方向の山の中に入りそうになりましたw 無事引き返して、国道1号を横切り、トンネル近くで休憩してから峠に向かいました。

    道の駅宇津ノ谷峠に到着した時点で、万歩計は21,092歩。まだまだ歩きます。

    トンネルに入る前の宇津ノ谷の集落は、石畳の道に伝統的な家並みが続いて、とても風情のある通りでした。集落の中には、小田原攻めに向かう秀吉に馬の沓を献上し、羽織を賜ったという言い伝えの残る「お羽織屋」もあります。

    木段の山道を登っていくと、明治トンネルの入口へ。……のですが、このトンネル、なんというか「何か出そう」な雰囲気でして。きっと夜は何か出てくるんじゃないの?!と思いながら、薄暗い電灯を頼りに歩きましたw

    とはいえ、明治時代にこんなトンネルを人の手で作れた技術力には頭が下がります。この宇津ノ谷には、旧東海道の峠道に加えて、明治・大正・昭和・平成と各時代のトンネルが並行して残っています。今に至るまでトンネルや高速道路を作り続けるくらい、この道は長きにわたって必要な道であり続けているんだなと実感しました。

    岡部宿と大旅籠柏屋

    峠を抜けると、「岡部宿」の看板と大きな「茶」の文字がお出迎え。江戸から数えて21番目の宿場、岡部宿に到着です。

    岡部宿では、大旅籠柏屋の歴史資料館を見学しました。国の登録有形文化財にもなっている、江戸時代の旅籠建築です。

    館内には、旅籠の一夜を再現した等身大の人形たちが。玄関で足を洗ってもらう旅人、一の間でお酌を受ける浴衣姿の客――人形たちがいるぶん、空間がリアルに見えました。ああ、この時代の人たちはこんなふうに旅をしていたんだ、と。

    そして建物の中を歩いていて感じたのは、その狭さ。鴨居や天井の低さに、昔の日本人は現代人より小柄な人が多かったのかな

    展示されていた旅道具や旅衣装も印象的でした。矢立、火打道具、小田原提灯……歩いて続ける旅なので、とにかくシンプルで少ない荷物。この装備で何日も歩き続けた江戸の旅人たちは、本当にすごいなと思います。リュックに湿布まで詰め込んでも足が痛くなる私たちとしては、頭が下がるばかりですw

    中庭では鯉のぼりが泳いでいました。ゴールデンウィーク、端午の節句の季節です。

    締めは焼津で

    この日の宿泊は、岡部宿の通り沿いにホテルがなかったため、バスとタクシーで移動して焼津のビジネスホテルへ。宿場町なのに泊まれない――現代の東海道歩きあるあるです。

    焼津といえば漁港の街。お魚が食べられるかとお魚センター界隈へ探しに行ったところ、夜はほとんどのお店が閉まっているという罠w ウロウロした末にたまたま見つけた定食屋さんに入ったら、これが大当たり。お値段以上のものすごくボリューミーな料理ばかりが出てくるという嬉しい展開に驚きました。

    バイ貝の煮付けに、分厚いだし巻き卵(これはお通し)、山盛りのサラダ、お刺身の盛り合わせ、焼き魚の干物。テーブルには旅のお供の三日月と太郎太刀も同席ですw

    来店時には通りがかりの旅のライダーさんや近所のお馴染みさんがやってきたりと、賑やかで温かいお店でした。残念ながら今はもう閉業してしまっているようですが、旅先での一期一会、忘れられない夕食になりました。

    この日をふりかえって

    この日の歩数、38,079歩。1年ぶりの再開初日としては、なかなか歩きました。

    時代の流れが並行して残った道、それが東海道。

    江戸から続く安倍川もちととろろ汁、明治のトンネル、現代の国道1号と高速道路。いくつもの時代の道と味が重なり合うルートを、自分の足で歩いた一日でした。

    そして朝のおやつ、昼、夜と、美味しいご飯に出会えてしあわせでした。

  • まさかの「ご用意」

    刀剣乱舞は大好きな作品です。とある職場で知り合った人にミュージカルへ誘われたのがきっかけで、コロナ禍を経てもずっと舞台を見続けてきました。ただ、年々チケットが取りづらくなり、やがてファンクラブも辞めてしまいました。

    そんな中、SNSで能狂言『刀剣乱舞』の公演を知ります。しかも私の推し、髭切と膝丸の二振りによる作品。この二人のキャラは人気が高く、二人の役柄のみでの公演となればチケットはまず当たりません。期待せずに申し込んだら――まさかの「ご用意できました」の連絡。驚きました。久しぶりに休暇を取って、観に行くことにしました。

    都心の踏切と成田エクスプレス

    会場は千駄ヶ谷の国立能楽堂。初めて行く場所なので少し迷いましたが、代々木駅から地図通りに歩いていくと、都心では珍しい踏切に辿りつきました。

    思わず写真をパチリ。しかも通ったのは上り下り両方とも成田エクスプレスでした😅

    線路を越えて地図アプリ片手にウロウロ、道端の看板を頼りに国立能楽堂に到着です。

    開演前の腹ごしらえ

    グッズを買うなら早めにと前日に行った人のSNS情報を見て早めに到着しました。まずはお目当てのグッズを購入してから、能楽堂の食堂でお昼にします。この時はどのくらいの上演時間か調べておらずお腹をぐーぐー鳴らすのは失礼かと思い食べることにしました。実際は1時間半弱で終演後も食堂は空いていたので終わってからでも大丈夫でした

    エビの冷製ジェノベーゼ。冷たくて美味しかったです。少し塩気が強かったかな。開演時間も迫っていたので、結構慌てて食べることになりました。

    千筋の糸の中で

    開演前は撮影禁止。スマホの電源も落として、いざ観劇です。

    推しの髭切と膝丸の物語を、本物の能舞台で観る。しかも座席は脇正面の一番前でした。遮るものが何もなく、それこそ役者の足元からじっくり見ることができました。

    一番心に残ったのは、やはり蜘蛛の糸が放たれて、その中で髭切と膝丸が戦う場面です。動きが特別激しいわけではありません。でも、鼓や太鼓や笛、掛け声や謡で、ものすごく盛り上がっていくのです。今なら機械で調整するところを、照明以外はほとんど人力で表現していく舞台。ここに原点を見たような気がしました。

    まさかの撮影タイム

    終演後、「ここからは撮っていいですよ」とアナウンスが。慌てて電源を入れて撮影開始です!おそらくカーテンコールと、今後の宣伝も兼ねているのだと思います。追加公演が12月に決まっていますので☺️

    舞台の上には土蜘蛛の千筋の糸がびっしり。

    装束姿の髭切と膝丸が、客席の通路まで来てくれました。会場にいたみなさん、もちろん大喜びです。その間も笛や太鼓や鼓の生演奏で盛り上げてくれて、最後まで能楽の空間のまま推しを撮れるという、なんとも贅沢な時間でした。

    帰り道は完全なるお上りさん

    帰りはコンビニへ寄り道しているうちにどうも道に迷ってしまい、あららどうしましょうと歩いていたら、目の前にハチ公バスがやってきました。とりあえず乗って代々木へ……と思っていたら、参宮橋あたりに来てしまい、焦って降りて前の人について行ったら、結局新宿の初台に辿りついていました。

    ただ、初めて歩く場所だったのと、首都高側の道、気がつくと見上げるような高いビル。長いこと都内に住んでいますが、完全なるお上りさん状態で歩きました。知っているはずの街で迷子になると、急に旅になるものですね。

    終わりに

    推し活超最高!と思った一日でした。そして能狂言、ほかの演目も見てみたくなりました。

    推しは心の栄養です。

  • 前夜の作戦会議

    前日、薩埵峠を目前に相方の足のトラブルで歩き旅を断念。その夜のうちに話し合った結果、「リュックを背負っての歩き旅はさすがに厳しい」という判断で、この日は歩くのをやめて静岡駅周辺の散策に切り替えることにした。

    足の筋肉が痛んでいたようだったが、持ち歩いていた湿布でやり過ごす。歩き旅の常備品、湿布がここで活躍である。

    ホテルの朝食からスタート

    朝はホテルの和定食。ホッケの干物にだし巻き卵、味噌汁。この日はがっつり歩くわけではないけれど、朝ごはんはしっかりと。

    外に出れば、住宅街の向こうに今日も富士山。昨日あれだけ浴びたのに、見えるとやっぱり撮ってしまう。

    静鉄電車に乗って

    移動は静岡鉄道。狐ヶ崎から乗車して静岡の街へ向かう。

    新静岡の駅では「静岡鉄道×ちびまる子ちゃんランド」の顔ハメパネルがお出迎え。まる子の故郷・清水を抱える静岡らしい光景である。

    駿府城公園へ

    この日のメインは駿府城公園。徳川家康が晩年を過ごした駿府城の跡地だ。

    お堀の石垣と巽櫓。街のビル群のすぐ隣に、江戸の風景がどんと残っている。

    公園の中では鷹を手にした家康公の像がお出迎え。

    家康公お手植えのミカン

    そして個人的にこの日いちばんだったのが、家康公お手植えと伝わるミカンの木。将軍職を退いて駿府に隠居した家康公が、紀州から献上された鉢植えのミカンを本丸に移植したものと伝えられている。静岡県指定の天然記念物だ。

    400年以上前の木が、フェンスと立て札でしっかり守られて、今も大事に手入れされている。静岡のミカンの起源を知るうえでも貴重な木なのだそう。この家康愛と手入れの丁寧さには素直にすごいと思った。

    狙っていなかった発掘現場

    本丸跡では天守台の発掘調査の真っ最中だった。ブルーシートに覆われた石垣がどこまでも広がる、なかなか見られない光景である。

    展示コーナーには「さわってOKです」と出土した瓦まで置いてあった。遠慮なく触らせていただく。

    実はこれ、まったく狙って行っていない。東海道の旅では、狙って行くと大概お店は休み、時間が合わない、ということが多かった(前日の由比しかり…)。狙わないと当たる。旅の法則である😅

    公園には葵の御紋の植え込みや、この日開催されていたイベントのふわふわ忍者城なんかもあって、家族連れで賑わっていた。

    展望ロビーから街を見下ろす

    県庁別館の展望ロビーへ。眼下に駿府城公園、その先に静岡の街並み、そして山の向こうに富士山。発掘現場のブルーシートも上から丸見えで、規模の大きさがよくわかった。

    お茶の街の実力

    歩き疲れたところで、静岡茶の喫茶専門店へ。お茶の専門店があること自体が驚きだった。コーヒーではなく、日本茶を急須で一杯ずつ丁寧に淹れて出してくれる。さすがお茶の名産地。安倍川餅と一緒にいただいて、ほっと一息。

    (写真:お茶と安倍川餅)

    静岡駅前も家康づくし

    静岡駅前には幼少期の竹千代くんの像と、壮年の家康公の像。ビルの壁面には「家康公が愛したまち SHIZUOKA」の文字。どこを向いても家康である。人質時代から晩年まで、人生の多くをこの地で過ごした家康公は、静岡の街の顔なのだ。

    締めは静岡おでんデビュー

    夜は駅ビルの中にあったお店で静岡おでん。真っ黒い出汁で煮込まれた串刺しのおでんに、だし粉をたっぷり。もつ煮も一緒に。

    今まで自分が食べてきたおでんとはまったく違うものだったが、これがうまい。黒はんぺんをはじめ、静岡ならではのおでん文化を堪能した。

    この日をふりかえって

    観光地の顔をした静岡に会えた一日でした。

    東海道を歩いていると、街は「通り過ぎていく宿場」として出会うことになる。でもこの日は歩かなかったからこそ、家康の街、お茶の街、おでんの街としての静岡とゆっくり向き合えた。

    薩埵峠の厳しさをまだ知らないまま過ごした、楽しい観光の一日。計画通りではないけれど、こんな旅もあり。ちょっとしたご褒美気分の休日だった。

  • 吉原の朝

    この日の朝は、前日からお世話になった吉原の旅館の朝食からスタート。

    しらすの小鉢に干物、卵焼き、野菜の小鉢。どれも素材が新鮮で、歩き始める前の腹ごしらえにぴったりの和定食だった。ごちそうさまでした。

    外に出ると、雲ひとつない快晴。駐車場の向こうに、雪をかぶった富士山がぬっと立っている。今日は一日、この山と一緒に歩く。

    富士山愛にあふれた街

    吉原といえば「左富士」。東海道を京へ向かって歩くと富士山はずっと右手に見えるのだが、ここ吉原ではルートの関係で左手に見える。それが珍しくて名所になり、広重の浮世絵にも描かれた。その碑をしっかり見学。

    そして歩けば歩くほど、この街の「富士山愛」に驚かされる。

    – 道が富士山に向かってまっすぐ伸びるように作られている

    – とある企業のそばのベンチが、バスの来る道路側ではなく富士山の見える方を向いて設置されている

    – 景色を邪魔しないような建物の作り

    – 富士川橋の欄干には、富士川と富士山のベストショットの位置がしっかり明記されている

    工場と煙突の間からも、住宅の隙間からも、とにかくどこからでも富士山が顔を出す。生活の中に当たり前に富士山がある街だった。

    富士川橋からのベストショット

    富士川橋を渡る。昭和初期竣工の趣ある鉄橋で、歩道から眺める富士川と富士山の組み合わせがとにかく素晴らしい。

    堰を越える水の白いしぶき、ゆったりした川の流れ、その向こうに残雪の富士。この日いちばんの景色はここだったと思う。歩いてきた人だけが正面から受け取れるご褒美みたいな眺めだった。

    のどかな山道と、巨大インフラと

    富士川を渡ると道は山へ。ここからはアップダウンの続く、のどかな山の中の道になる。

    途中、金網越しに東名高速を見下ろすポイントがあった。江戸の道の眼下を現代の道が走る、旧街道歩きならではの立体交差。

    かと思えば、山の斜面を何本も駆け下りる発電用の巨大な水圧鉄管が現れたり。菖蒲が咲いて鯉のぼりが泳ぐのどかな景色と、巨大インフラが交互に出てくるのがこの区間の面白いところ。

    そしてこの日どうしても寄りたかったのが、栗饅頭のお店。昔、東海道沿いで作って売られていた饅頭を再現したものだそうで、購入して休憩がてらベンチでいただいた。

    今の栗菓子のようなしつこさがない、とてもやさしい味。歩き疲れた体に染みた。

    お昼は道路沿いにあった町中華のようなお店で青椒肉絲定食。こういう店がまたうまいんだな。

    いなば食品、ここにあったのか

    由比に近づいてきたところで、街道沿いに「いなば食品 静岡工場」の看板を発見。スーパーでよく見かけるあのツナ缶の工場はここだったのか! と妙な親近感。由比・蒲原はもともと海の幸の加工が盛んな土地だから、納得の立地ではある。

    由比漁港には漁船がずらり。桜えびの本場である。……が、タイミングが悪く、由比では何一つ買うことができなかったw 直売所の看板が切ない。次に来るときは必ず。

    そして、薩埵峠を目前に

    由比から薩埵峠へ向かう途中、相方の足の調子が悪くなってきた。長時間歩いたことによる靴擦れも起きていて、歩くのがつらそうだった。

    実はこの靴擦れ、私たちの歩き旅ではほぼ毎回ふたりとも悩まされてきた宿敵である。

    薩埵峠といえば広重も描いた東海道随一の絶景ポイント。ここまで来て断念するのは悔しい。でも、相方の「だめだ」の一言で、じゃあ電車、と即決。こういう時は無理しないのが一番。旅は続けてこそ、である。

    由比駅から電車に乗り、その日宿泊予定だったホテルへ移動した。

    締めはマグロ丼

    ホテルに着いてから、ふらりと入ったお店でマグロ丼。断念の悔しさも、うまい鮪と味噌汁でだいぶ癒された。

    この日をふりかえって

    **大きい富士山に圧倒された一日でした。**

    朝から晩まで、どこを歩いても富士山。街のつくりまで富士山を向いている。薩埵峠には届かなかったけれど、もう十分すぎるほど富士山を浴びた一日だった。

    ちなみに――薩埵峠はこの8年後、2026年に箱根峠とともにリベンジすることになる。それはそれでいろいろありましてw その話はまたいつか。

  • こんにちは、きりこです。

    東海道てくてく旅、今回からいよいよ箱根の西側へ。GWのお休みを利用して、2泊3日で歩いてきました。まずは初日、三島から吉原までの記録です。

    ……え、箱根峠は?と思ったそこのあなた。鋭い。

    実は今回、峠越えはしておりません。相方いわく「去年関所行ったからいいでしょ」。……そういうことになりました(笑)。峠はいずれ、しかるべき覚悟とともに。というわけで、今回は三島からの再スタートです。

    始発の新幹線で、三島へ

    この日は始発の新幹線に乗って、8時前には三島に到着。ホームに降り立つと、駅名標の向こうにさっそく富士山がお出迎えです。

    三島駅ホームから、いきなり富士山。幸先のいいスタートです

    朝はまだ空気がさわやかで、歩き出すには最高のコンディション。快適なスタートを切ることができました。

    街のあちこちから顔を出す富士山。この日は一日中ずっと一緒でした

    水の街・三島

    歩き始めてすぐに出会ったのが「愛染院跡の溶岩塚」。約1万年前に富士山から40kmも流れてきた溶岩が、ここで小高い丘になったのだそうです。富士山、スケールが違います。

    愛染院跡の溶岩塚。富士山の溶岩がここまで流れてきたそうです

    三島といえば、富士山の雪解け水が湧き出る水の街。街道沿いの水汲み場では、人形が「ぎっこんばっこん」とポンプを漕いで水を汲み上げていました。

    人が前に立つと自動で動き出す、働き者のおふたり

    この水汲み場、人が前に立つとセンサーで自動的に水が流れ出す仕組みで、思わずびっくり。人形たちの愛らしい動きにすっかり見とれてしまい……肝心のお水を飲むのをすっかり忘れました(笑)。「どうぞ召し上がれ」と書いてあったのに。三島の水、また今度。

    【写真】

    「富士の雪解け水が源水の三島の水 どうぞ召し上がれ」。飲み忘れた人がここにいます

    街のあちこちを澄んだ水が流れていて、川沿いの道はとても気持ちのいい雰囲気。水の音を聞きながら歩ける街って、いいですね。

    水路沿いの遊歩道。お花も手入れされていて素敵な街並みでした

    三嶋大社にご挨拶

    そして三島宿といえば、三嶋大社。伊豆国一の宮です。

    三嶋大社に到着。堂々たる社号標です

    立派な総門。大しめ縄に圧倒されます

    境内に入ると、想像していたよりずっと大きな神社で驚きました。朝早いおかげで人も少なく、ゆったりと歩きながら厳かな雰囲気を味わえました。

    朝の参道をてくてく。人が少なくて贅沢な時間でした

    本当は全体をじっくり回ってみたかったのですが、この日の道のりは長いので、さっとお参りして先へ進むことに。境内には天然記念物の金木犀(樹齢1200年!)もありました。花の咲く時期に、ぜひ再訪したいものです。

    天然記念物の金木犀。秋にまた会いに来たいです

    黄瀬川を渡って、沼津へ

    三島の街を抜けて、沼津方面へ。この道中、ずっとテンションが高かった理由がこちらです。

    人生でいちばん大きな富士山。しばらく立ち尽くしました

    歩く道沿いに、人生で今まで見たことのない大きさの富士山が見え隠れするのです。関東側から眺めてきた富士山とはまるで迫力が違って、視界にどーんと現れるたびに足が止まる、止まる。なかなか先に進めません(笑)。

    黄瀬川橋を渡ります。ここを越えると沼津です

    黄瀬川を渡って沼津の街へ。狩野川の河川敷では、こどもの日を前に鯉のぼりがずらりと並んで泳いでいました。GWらしい光景に心が和みます。

    狩野川の鯉のぼり。GWですねえ

    沼津宿では「川廓(かわぐるわ)」という地名の由来を記した案内板を発見。狩野川に面した沼津城の城郭に由来する町名なのだそうです。こういう案内板を見つけて立ち止まるのも、街道歩きの楽しみのひとつ。

    川廓の由来。かつてこのあたりは沼津城のすぐ外側でした

    沼津港で、お昼ごはん

    東海道からは少し寄り道になりますが、この日のお昼は沼津港へ。実は相方、朝からずっと漁港が目当てだったようで、心なしか歩くペースが上がっておりました(笑)。

    沼津港に到着。魚市場が並ぶ活気ある港です

    港は観光客でおおいに賑わっていました。飲食店が軒を連ねる「港八十三番地」で、干物の定食をいただきます。

    干物定食。ふっくら香ばしくて、歩いた身体に沁みました

    さすが漁港、お魚がおいしい!朝から歩いてきた身体に、ごはんとお味噌汁が沁みわたります。

    お土産屋さんの店先では、かわいらしいアニメキャラクターの飾りをたくさん見かけました。あとで調べたら「ラブライブ!サンシャイン!!」という作品で、沼津が聖地なのだそうです。よくわからないまま写真を撮っていた私……ファンの皆さま、にわかでごめんなさい。

    お土産屋さんの店先にて。沼津はアニメの聖地なのだそうです

    千本松原と、駿河湾

    沼津港からは、千本松原へ。若山牧水記念館の前を通りかかりました。牧水は千本松原をこよなく愛し、晩年を沼津で過ごした歌人です。先を急ぐ旅ゆえ中には入りませんでしたが、松原とセットで記念にぱちり。

    若山牧水記念館。千本松原を愛した歌人です

    千本松原の中の道。木漏れ日が気持ちいい

    松林を抜けると、目の前に駿河湾が広がりました。このあたりに来てさすがに暑くなってきましたが、海の景色が素敵で疲れも半減。何より驚いたのは、人の少なさ。広い海岸沿いの道を、相方とたらたらおしゃべりしながら、のんびり歩きました。

    海沿いの道を、富士山に向かって歩きます。贅沢な散歩道です

    浜辺には、石を並べて描いた富士山のアートも。「FUJI」の文字入りです。富士山のある県の誇り、でしょうか。スケールの大きな作品でした。

    浜辺の石アート。誰が作ったのでしょう、お見事です

    相方、まさかのカフェを提案する

    千本松原を過ぎた道沿いで、この旅いちばん(?)の事件が起きました。なんと相方が「あの店に入ろう」とカフェを提案してきたのです。

    普段、自分からそういうお店に入ろうとは決して言わない人なので、内心むちゃくちゃ驚きました。歩き旅、人を変えるのかもしれません。

    いちごのタルトとアイスティー。疲れた身体に甘さが沁みる〜

    いちごのタルト、おいしかったです。相方さん、たまにはこういうのもいいですね。

    吉原へ、ゴール

    甘いもので元気を取り戻し、東田子の浦を過ぎてさらに西へ。道中では懐かしのレトロ自販機にも遭遇しました。ニチレイの「24hr HOT MENU」、まだ現役で稼働している姿に感動。さすがに買いませんでしたが(笑)。

    レトロなホットメニュー自販機。たこ焼きもハンバーガーも370円

    夕方が近づいても、富士山はずっとそこに

    そして夕方、初日のゴール・吉原駅に到着。この日歩いた距離は約20kmでした。

    この日は吉原駅前の民宿に宿泊。夕食には駿河湾のお刺身がずらり、桜えびも!

    夕食のお刺身盛り合わせ。桜えびが嬉しい駿河湾づくしです

    甘味もお料理も宿を経営する息子さんの手作りだそうで、こちらも絶品でした。おいしいごはんとお風呂で、初日の疲れをしっかり回復です。

    手作りの甘味。抹茶ときなこの優しい味でした

    富士山に心奪われた一日……いや、序章

    というわけで、第五歩の初日は三島から吉原まで、富士山に心奪われっぱなしの一日でした。

    いや——この日はまだ、序章だったのです。翌日、富士山はさらにその真の姿を見せてくれることになるのですが、それはまた次回のお話。

    きょうも、てくてく。

  • 今回はつい最近いった母との温泉旅の記録です。

    母は現在、施設で暮らしています。入浴は大勢の入居者さんたちを相手にするから仕方のないことなのですが、湯船にゆっくり浸かる機会はほとんどありません。元気な頃は近所の温泉にほぼ毎日のように通っていた母。「たまには、温泉に入れてあげたい」——そんな思いから、昨年から年に2回、バリアフリーで大浴場のあるホテルを探して連れて行くようになりました。

    行き先選びの基準は、施設から行きやすいこと(本庄早稲田駅が起点です)、そしてバリアフリーの施設があること。AIに相談しながらあれこれ検討した結果、今回は越後湯沢温泉に決めました。決め手は「駅からホテルが近い」こと。そして駅ナカが充実しているとは。行ってから知ったのですが、これが大正解でした。

    新幹線での移動 〜意外な難関は「あの隙間」〜

    本庄早稲田から上越新幹線で越後湯沢へ。母は歩行器を使っているので、移動にはいくつか工夫が要ります。

    座席は出入り口に近い席を予約しました。ただ、歩行器が思いのほか大きく、畳んだり、足元のおぼつかない母を席まで誘導したりは、なかなか大変でした。

    そして意外な難関が、ホームと電車の隙間。健常者なら何ということもないあの数センチが、母にはかなりのハードルで、抱きかかえて乗り降りする場面もありました。同じ状況の方は、心づもりをしておくといいかもしれません。駅のエレベーターは案内がしっかりしていたので、迷うことはありませんでした。

    1日目:へぎそばと麹ソフトと、日本酒の「偵察」

    越後湯沢駅に着いたら、まずはお昼。温泉街の老舗「中野屋」さんでへぎそばをいただきました。人気店だけあって、待つこと1時間。それでも母は喜んで食べてくれたので、待った甲斐がありました。布海苔をつなぎに使ったへぎそばは、つるりとしたのどごしで、天ぷらもさくさく。

    食後のデザートは、駅ナカ「CoCoLo湯沢」のぽんしゅ館にある「糀らって」へ。私はコーヒーゼリーソフト、母は白玉ぜんざい麹ソフトを注文しました。麹のほのかな風味と優しい甘さに、母も「美味しい」とにこにこ。甘いものは、いくつになっても別腹のようです。

    ぽんしゅ館では、相方に頼まれた日本酒購入の「偵察」も抜かりなく実施。新潟全酒蔵の利き酒ができる「利き酒番所」もあり、酒好きにはたまらない空間です(偵察の成果は翌日に持ち越し)。

    その後は「雪国館」(湯沢町歴史民俗資料館)へ。事前には「バリアフリーではない」と聞いていたのですが、行ってみるとエレベーターがあり、広くはないものの、ゆったり見ることができました。94歳の職人・小林守雄さんのワラ細工作品展、湯沢町で出土した27万枚もの古銭、映画『雪国』の資料、囲炉裏のある雪国の民家の再現……駒子さんの部屋もあって、入館料以上の満足感でした。

    高所恐怖症の母、ロープウェイに乗る

    続いて、湯沢高原ロープウェイへ。166人乗りの大型ゴンドラは、人が少なかったこともあり、歩行器のまま乗ることができました。

    ただ、母は高所恐怖症。景色は眺めているものの、終始無口です(笑)。でもそんなとこぐらいしか連れていくところがなくて・・・以前伊香保で乗ったロープウェイよりは揺れが少なく、「まだマシ」だったようですが。あいにくの曇り空で眺望は今ひとつでしたが、高原から見下ろす湯沢の町並みやスキー場の風景はなかなかのものでした。高原では、駅ナカで買っておいた名物の笹だんごをおやつに。

    ここでひとつ反省点を。チェックインまでの時間潰しも兼ねて色々回ったのですが、大して歩けない母を連れ回しすぎて、少々お疲れ気味にさせてしまいました。私にとっては「どうという距離」でも、母には大変だったようです。元気な頃は歩くのが大好きだった母だけに、この匙加減はなかなか難しいところです。現地到着はもう少し遅めでもよかったな、というのが正直なところ。

    湯沢グランドホテル 〜坂は急だが、部屋は快適〜

    宿泊は湯沢グランドホテル。駅から近いのが決め手でしたが、ひとつ誤算が。道路から入り口までの道のりが、なかなかの急坂だったのです。歩行器の母にはここが一番の難所だったかもしれません。おそらくホテルに言えば車での送迎は可能だと思うので、次回は迷わずお願いしようと思います。

    お部屋は段差のないフラットな造りで、ベッドも低め。特にありがたかったのがトイレで、近づくと電気が自動でつき、蓋の開閉も流すのも全自動。母のような高齢者には、この「自動」が本当に助かります。

    さて、この旅の最大の目的、温泉です。大浴場には手すりがあり、浴槽内にも段差(ステップ)があったので何とかなりましたが、足が弱った母には湯船に入るのもひと苦労。それでも湯に浸かった母は「気持ちいい」と喜んでくれて——この一言のために来たのですから、もうそれだけで大満足です。とはいえ次回は、家族風呂(貸切風呂)の予約も検討しようと思いました。

    夕食は予算の関係でバイキングを選択。ホテル側が料理を取りに行きやすい席を用意してくれていて、さらにトレイを乗せて運ぶカートがあったので、母はそれを歩行器代わりにして料理を選ぶことができました。本音を言えば上げ膳据え膳が理想ですが、これはこれで良い工夫。にぎり寿司や冷やしおでんが食べやすかったようでお気に入り。ポテトや野菜の串揚げなど「滅多に食べられないから」と揚げ物も楽しみ、スイカやメロンなど季節の果物まで、母の好きなものを中心にしっかり堪能しました。

    2日目:爆弾おにぎりと文学碑散歩

    2日目はチェックアウト後、駅ナカに荷物を預けてお土産探し。ぽんしゅ館ではばら売りのお菓子(雪国ブラウニーなど)をあれこれ買い込み、母にはその場で温泉饅頭とカステラを。前日の「偵察」の成果で、相方への日本酒も無事確保しました。

    そして名物「爆弾おにぎり」。魚沼産コシヒカリを羽釜で炊いて、その場で握ってくれるおにぎりです。母と半分こにして食べました。具は母のリクエストで梅。お米が美味しくて、とても優しい味でした。この旅、食べてばかりだったので、これが実質のお昼ご飯です(笑)。

    腹ごなしに、川端康成『雪国』の文学碑まで散歩。「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」——あの有名な一節が刻まれた石碑が、山々を背に立っています。道中、温泉通り沿いの軒下にはツバメの巣がいくつも。「街中では見なくなったから珍しいね」と母と話しました。こういう何気ない会話が、あとになって一番心に残るものです。

    最後は駅ナカのand tap CAFEでひと休み。私は日本酒レモンサワー(酒どころ湯沢に敬意を表して)、母は紅茶で、旅を締めくくりました。

    おわりに 〜温泉に入れたら満点!〜

    今回の旅の教訓をまとめると、こんなところでしょうか。

    現地到着は焦らず遅めに。ホテルへの急坂は送迎をお願いする。次は家族風呂の予約も検討。そして何より——連れ回しすぎない。

    同じように「高齢の親と温泉に行きたい」と考えている方に、ひとつだけお伝えするなら。**無理はせず、「温泉に入れたら満点!」ということにした方がいいと思います。** アクティビティは本人の興味の範囲内で、ほどほどに。

    母が一番嬉しそうだったのは、甘いものを食べているときと、温泉に浸かっているとき。結局のところ、旅の目的はそれで十分なのだと思います。でもね。連れて行ってるわたしも楽しみたい。そのぎりぎりをどう探ろうか(笑)

    次はどこの温泉に連れて行こうかな。